ソウル大学病院は、大学路(テハンノ)という、ソウル地下鉄4号線恵化(ヘファ)駅から歩いて2分ほどのところにあります。広い敷地の中、それぞれの専門科に分かれた建物があり、患者や病院関係者など、いつもたくさんの人であふれています。
ソウル大学病院医学博物館 常設展示室
ソウル大学病院医学博物館は、韓国に現存している中でもっとも古い時計塔がある建物「大韓医院」の二階にあります。大韓医院はソウル大学病院の前身で、大韓帝国時代、高宗皇帝の勅命で設立された一番古い国立病院です。
ソウル大学病院医学博物館には、常設展示、企画展示に加え、時計塔展示室があります。常設展示は、主に西洋式医校として始まったソウル医科大学付属病院の歴史について展示されています。
ソウル大学病院の前身、大韓医院の初代校長、池錫永(チ・ソギョン)先生は、韓国に種痘をはじめとする近代医学を導入しました。また、縦書きをしていたハングルを横に書くことを主張した先駆者だそうです。
日帝強占期の医学教育機関においての差別
日本が植民地支配した時代、医学教育機関においても韓国人に対する差別は同様でした。京城医学専門学校と京城帝国大学医学部には、韓国人学生も通ったが、はるかに日本人学生が多く、教授陣も大多数が日本人だった。
1921年5月京城医学専門学校解剖学実習室で頭蓋骨ひとつがなくなった事件が発生した。この事件において、日本人教授久保武は韓国人学生が盗んだと決めつけ、韓国人はもともと解剖学上も歴史を見ても野蛮人に近いと暴言を吐いた。
韓国人学生はこれに抗議する意味で同盟を組み休学を決意したが、学校当局は主導者9名を退学、残った韓国人学生185名全員を無期停学処分にした。そうすると学生たちは全員自主退学を申し出た。
しかし卒業生や学校父兄が仲裁し、事件後ひと月ほどで懲戒が撤回された。この事件は、日本人が主導権を持つ官立学校での民族差別と韓国学生たちの抵抗と憂鬱を表す代表的な事件だ。引用:ソウル大学病院 医学博物館 展示
医学生と独立運動
京城(キョンソン)医学専門学校の学生たちの中にも、3・1独立運動に参加した学生たちがいました。逮捕された後、復学した学生もいましたが、そのまま独立運動に献身する学生たちもいました。そんな学生たちの写真が展示されています。
その他の展示
抗生物質がない時代、軟膏は家庭の常備薬だった。
企画展示「注射器の誕生」「臓器移植」
人体に液体を注入したり、血液や体液を吸いだす注射器は、9世紀頃から使われていたそうです。
大韓医院 バロック様式の時計塔展示室
時計塔の建設には、近隣の市民に時間をしらせるという伝統的な理念と、西洋の技術を導入し近代国家として立とうという意味がこめられていました。韓国最初の西洋式時計塔は、1880年代末に景福宮に建てられ、2番目は、1901年、ハンソン電気会社の社屋に建てられました。そして韓国で3番目に建てられたのが、典型的なバロック様式の大韓医院の時計塔でした。先に立てられていた2つの時計塔は、時代の流れによりなくなってしまったため、大韓医院の時計が韓国に現存している中でもっとも古く、また、現存する唯一の機械式時計となりました。
この塔の時計は、イギリスに注文し制作されたものと推測されています。長い時間を経た後、復元され、2014年5月から一般に公開されています。
ソウル大学病院の敷地内を歩いて恵化(ヘファ)駅の反対側から出ると、王族の生活の場として使われた古宮「昌慶宮(チャンギョングン)」の目の前にでてくることができます。
病院の博物館は、韓国国内にもそう多くありません。また、ソウル大学病院では韓国最古の時計塔も見学できますので、古宮とあわせて見学してみてください。
それではまた。アンニョン~
Address
Daehangno, Jongno-gu, Seoul 10