ソウル歴史博物館(本館)は朝鮮時代から現在にいたる都市ソウルの歴史と文化を知ることができる博物館です。ソウル歴史博物館は漢陽都城博物館、清渓川博物館、慶熙宮、コンピョン都市遺跡展示館など、多数の分館を運営しています。
企画展示「ソウルと平壤の3.1運動」
2019年は3.1独立運動100周年の年であり、さまざまな記念館や博物館では企画展示が催され、テレビでは、3.1独立運動関連の番組がしばしば放送されています。
3.1独立運動とは
日本に強制併合され植民地支配を受けた時代を、韓国では「日帝強占期」といいます。侵奪、搾取、差別が日常化し、軍隊と警察による暴力の恐怖が続いた時代です。この不合理な状況を 打開しようと起こったのが独立運動です。その中でも、各地で秘密裏に準備、実行され、大韓民国臨時政府樹立の根幹を築き、その後絶え間なく続いた独立運動の精神的な土台となったのが 3.1独立運動です。
韓国には、当たり前に毎日の生活に過去の歴史があります。ソウルと平壤は3.1独立運動がもっとも活発に行われた場所です。この企画展示は3.1独立運動の準備と実行の様子を明らかにしています。
日本の代表的な保守政権だった立憲政友会の機関紙、大阪新報で制作された「韓国併合記念画報」明治天皇の下に大韓帝国の王の写真。地図には朝鮮半島の資源分布、面積、人口、財政状況、重要生産額などの情報を載せ侵奪の欲望を示している。
引用:ソウル歴史博物館「ソウルと平壤の3.1運動」展示より
併合「記念」とは、今なら世界中からバッシングを受けるであろう内容ですが、この時代にはまかりとおっていて、このような当時の印刷物はたくさん残っています。
武力で統治していた1910年代の学校。教師は日本人で、軍服を着て刀を持ったまま授業をしていた。
むち打ちの刑は、人体に直接むちをうつ最も悪質な身体刑。朝鮮でも1894年(高宗31年)すでにむちうち刑を廃止し、日本も西欧の影響を受け「近代化」を目指す過程で廃止していた。しかし自分たちの植民地である台湾と朝鮮では、むちうち刑が必要だと主張し「朝鮮むち打ちの刑」を制定した。軽微な罪に対して野蛮な身体的苦痛と羞恥心を与え、ひどい場合には死に至らしめた。
朝鮮総督府の土地強奪
土地調査事業として1910年に始まった。土地所有者は決められた期間に関連資料を用意し直接申告したら所有権を認定するとしたが、知らずに申告できなかった土地はすべて国有地として 朝鮮総督府の所有になった。そのような土地を*東洋拓殖株式会社などに安く譲り、農民たち は慣習的に認証を受けていた耕作権を剥奪され、小作農へと転落し、農地を去らなければならなかった。東洋拓殖株式会社は1911年から日本人を対象に朝鮮農業移住民を募集し、その空き地を充たした。ソウル歴史博物館「ソウルと平壤の3.1運動」展示より翻訳
*東洋拓殖株式会社:日本が朝鮮経済の独占と、土地、資源の収奪、搾取を目的として伊藤博文が創立した国策会社。
第一次大戦の影響で日本の物価が暴騰し、食料不足が深刻に悪化した。日本は自国の食糧不足を克服するため韓国にある米を送った。これによって韓国では米が高騰し、生活はなおいっそう苦しくなった。1918年鐘路小学校前の米販売所で安い米すら買えない市民たちの不満でデモ が起こり、1,000名以上が参加した。
ソウル歴史博物館「ソウルと平壤の3.1運動」展示より翻訳
不当に没収した土地を利用し、米の収穫量を増やす計画を立て、日本の米不足を解消する食料基地とした。米は日本に送られ、農村からは米や農作物がなくなり、そして毎年、食料不足で数千人の韓国人が餓死したのです。
マイクのあるブースがあり、独立宣言書の文言が画面に流れます。ここに設置されたマイクを使って、独立宣言書を読むことができます。タプコル公園に模された展示室に声が流れます。
参考
タプコル公園は、国内最初の都心の公園で1919年 3.1独立運動が起こったところです。現在はパゴダ公園とも呼ばれています。
やがて綿密に計画され各地で3.1独立運動が起こります。3.1独立運動の精神は大韓民国臨時政府樹立に引き継がれ、その後絶え間なく続いた独立運動の精神的な土台となっていきます。
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ソウル歴史博物館(2)「ソウルと平壤の3.1運動」
日帝による独立運動の弾圧 日帝は 3.1独立運動を弾圧しました。弾圧したのは警察です。そして独立運動に参加した人たちは「罪人」であり、彼らが収容されたのが、西大門刑務所です。西大門刑務所は別に紹介しま ...
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