「日帝強占期(日本植民地支配の時代)」の学校教育
常設展示室には、韓国の教育制度の変遷史と、三国時代から朝鮮時代、近代教育期、日帝強占期、光復から現在までに使われた机や文房具、学校用品、制服や校章、賞状などさまざまな展示がされています。朝鮮時代の科挙試験についてなど、ジオラマも多く、目で見て楽しめる展示になっています。しかしながら、日帝強占期の学校では何があったのか?展示を見るにつれ、胸が痛くなってきます。
教壇に立つ教師まで威圧的に軍服を着て刀を持っていた。
これは、全ての学校で授業中に韓国語の使用を禁止した、1938年当時に運用された「国語常用カード制度」と関連した、ある事件をテーマに作った模型です。
朝、教師は国語常用という文字が刻まれた木でできたカードを数名に渡し、授業中、休み時間ですら、韓国語を話した生徒にカードを渡すようにさせた。カードを受け取った生徒は、放課後教務室に行って恐ろしい処罰を受けなければならず、どんな方法を使っても他の生徒に渡さなければならないと、授業にも集中できなかった。しかし韓国語を使う生徒を見つけられない場合、トイレに入った生徒に水をかけ、怒った生徒が誤って韓国語を使えば、その生徒にカードを渡したりした、という実話が伝えられている。この事件からも日本が私たち民族に多くの間違った理念、価値観を植えつけようとしながら、武力的な制度と法を利用し教育しようとしたのかを知ることができる。
引用:ソウル教育博物館
これを、逆の立場になって考えたら、どうでしょうか。授業中も休み時間も、母国語を使ったら、クラスメートからカードを渡され、放課後に日本人教師からひどい体罰を受けなければならないのです。
沖縄の「方言札」
上記の「国語常用カード制度」は、明治末から戦後まで続いたといわれる沖縄の「方言札」制度に少し似ています。「方言札」は、主に沖縄の小学校で、標準語の使用を強制させるため、学校教育の場で使われたものです。もともと独立した国家・琉球王国であった沖縄で、明治末期から本来の母語を抑圧したのは、日本の文化や思想を押し付け、同化させることが目的の政策だったのだと考えられます。沖縄では、体罰はなかったようですが、成績に影響したそうです。しかし現在はまったく反対に、文化庁で “ 消滅の危機にある言語・方言の実態や保存・継承の取組状況に関する調査研究をはじめ保存・継承に資する様々な取組 ” を行っています。
皇国臣民化政策
なぜ母国語を禁止され、学校で日本語を習わなければならなかったのでしょうか。韓国に旅行目的で訪れる方も、そういった背景を知らない方が多いです。
1937年 日帝は日中戦争を始めてから、自国民のみならず、朝鮮の民までを総動員しました。侵略戦争に自発的に協力させるため「皇国臣民化政策」を押し付けました。各地に神社を作り、天皇を神としてあがめ、「天皇のためによろこんで命を捧げよ」と、天皇の民としての意識を刷り込もうとしたのです。
皇国臣民化政策とは、具体的には、各地へ建てた神社への参拝を義務とし、皇国臣民の誓詞の暗唱を強要した。また、日本式の名前に変えさせ(創氏改名)、母国語の使用を禁止し、韓国語の雑誌や新聞を廃刊させた。また歴史に対する教育や研究もさせないようにした。
また、学校を軍事訓練場に変え、学生に軍事物資を作らせました。日本人化させようとしても、扱いは日本人とはまったく違いました。「日本のために」若者は戦争で命を落とし、少女は従軍慰安婦として連れて行かれました。「戦時中、日本は食べるものがなくつらかった」という話を聞いたことはあっても、その時代に「日本の」戦争のため、韓国から食べ物がなくなり、毎年数千人が餓えて亡くなったことを知る日本人は、驚くことに多くありません。
こちらは、日帝強占期に朝鮮総督府が発行した日本語の教科書です。
第二課 日章旗
秋日の朝の町を私は行く
日章旗のひるがへる町を
晴々しい祝日の町を
私は心さわやかに歩いて行く日章旗の何といふ純潔
何といふ明朗
私は祝日の○旗の美しさに心奪はれて
○子のやうに町を歩く町並み上にひろがる青空
青空にひるがへる日章旗
何といふ偉大な心を示し
何といふ光明の心を表しているのであらうあゝ晴やかに麗しく
日章旗は町にひるがへる
はたはたと流れる朝風にひるがへる
私は日章旗が語る心を始めて知り、引用:ソウル教育博物館所蔵 日帝強占期に朝鮮総督府で発行された日本語教科書
*○部分は良く読み取れません。
苦しい生活を強いられる中で、日章旗のすばらしさを説く、このような教科書をつかわせられる子供たちを想像してみてください。もしご自身だったら?ご自身のお子さんや家族だったら?
2018年の旭日旗の議論について、意見します
2018年、大韓民国海軍国際観艦式への参加に関して、旭日旗についての議論がありました。日本の侵略戦争の象徴である軍旗を、今なお誇らしく掲げる…日本は世界から、どう見られているでしょうか。
旭日旗について「韓国からの意味の無い要請」だの「めでたさのシンボル」などといった、無知の極みの書き込みを見たことがあります。これは、過去について完全に「鎖国状態」にしてきた結果だといえます。机の前に座って集めた情報で無意味なまとめサイトをつくる。インターネットの世界には、世界どころか、自国の歴史すら知らず、薄い知識で茶化し、同意をもらいたいだけの悪意の記事があふれていることを残念に思います。
わたしの考えは、韓国人にとって旭日旗は、ユダヤ人にとってのナチスの旗と同様だいうことです。その旗を掲げることが許される世界がありますか。ここまで読んでいただいた後に、それは全然違う、という意見がありますでしょうか。理不尽に自分自身を、また、大切な家族を奪われるということに、違いはありません。
ただ「知る」だけ
おそらく、この記事を読んで、よく知らなかった、初めて聞いた、という人が多いと思います。
韓国では100%の韓国人が学びます。それは決して反日教育というものではなく、1910年~1945年の時代、韓国の年表は「日帝強占期」です。その時代に、自国で実際に起こった歴史を学んでいるのです。大昔のことではありませんので、写真も、記録も記憶も、生き証人も残っています。
日本の立場なら「わたしたち日本人はこのようなひどいことをしました」と教えなければならなかったため、教えませんでした。だから日本で教育を受けた人は知る機会もなく、想像すらしたことがなかったのです。そのため、日本が当事者でありながら、現在ほとんどの日本人が「よくわからない」という状態に置かれています。
しかし、このブログを読んでいただき、3.1独立運動とは何なのか、日帝強占期に何があったのか、それを少しでも知ってもらえたら、韓国人に旭日旗が認められない理由は、「嫌い 」だという国民感情、そんな簡単な問題ではないことを、理解してもらえると思います。
最近はK-POPや韓国ドラマ、韓国のファッションや美容などの文化が世界中に発信され、人気を博しています。日本にも、韓国が好きで何度も足を運ばれるリピーターの方がたくさんいます。どんなきっかけでも、韓国に少なからず興味を持ってこのサイトを見てくれたのなら、知らなかった「日帝強占期」について、少しでも知識を持ってもらえることを願っています。知ってみれば、同じ人間ですので、必ず同じ気持ちを持ってもらえると信じています。
ソウル教育博物館には、実際に使われていたレトロな文具やジオラマ、60年代が再現された昔の教室などさまざまな展示があり、とても楽しめる内容になっています。また、博物館の裏手には正読図書館という大きな図書館と、桜の名所として地元の韓国人に人気のとても美しい前庭があります。是非一度、足を運んでみてください。
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