ソウルの五大王宮、全部わかりますでしょうか。韓国を訪れたことがある人が、まず最初に思いつくのは景福宮だと思います。その次にユネスコ世界遺産に登録されている昌徳宮。昌徳宮に隣接しているので昌慶宮も。徳寿宮はソウル市庁近くにあり、王宮守門将交代儀式が行われているので知っている人も多いです。
五大古宮として最後に思い出される一か所、またはどうしても出てこないのが慶熙宮だと思います。韓国人にも一番認知度が低い王宮です。
慶熙宮は朝鮮時代の宮廷で、王の離宮として愛用されました。光化門広場から程近い、ソウル歴史博物館の隣りにあります。ソウル歴史博物館が最初の目的地で、帰りにこちらに寄って帰る方も多いかもしれません。とはいえ、ソウル歴史博物館がある場所は、もともと慶熙宮があった場所でした。
日帝強占期の慶熙宮
日本が植民地支配した時代を、韓国では日帝強占期といいます。
日帝強占期(日本が植民地支配した時代)、慶熙宮は朝鮮総督府の所有に移り、 日帝は慶熙宮の敷地に日本人学校である、京城中学校を建てました。その際に慶熙宮にあった重要な建物はほとんど取り壊され、面積も半分程度に縮小されました。
入口の興化門は、日帝が京城中学校を建てた際に慶熙宮の南側に移されましたが、 1932年には伊藤博文を祀る博文寺に移され、正門として使われていました。博文寺は 1945年光復とともに廃寺となりました。その後博文寺の跡地に新羅ホテルが入り、正門として使われていましたが、1988年 慶熙宮の現在の位置に移されました。しかしながら本来の位置には戻せなかったため、現在の場所は本来の位置ではありません。
光復(解放)後の慶熙宮
日本人学校だった京城中学校は、解放後ソウル中等ㆍ高等学校として使われていましたが、1980年、ソウル高校が江南に移転し、現代建設に売却されました。その後、ソウル特別市がこの敷地を購入、史跡第 271号に指定されたが、慶熙宮の復元は費用の問題で頓挫してしまい、復元工事は中止されました。そして、慶熙宮の敷地にソウル歴史博物館が建設されました。
慶熙宮復元事業
現在の韓国の古宮の姿の多くは、日帝強占期に破壊、搬出、縮小されたものを、莫大な国費をかけ、一部のみを復元したものであり、まだ復元事業はつづいています。
慶熙宮は2014年から2023年までの計画で、文化財庁とソウル特別市が共同で慶熙宮2次復元事業を推進しており、現在も工事中です。慶熙宮復元のため、敷地内の民間の建物の買い入れとともにソウル歴史博物館も移転する計画があります。
慶熙宮は5大古宮の中で唯一入場無料で、入り口には日本語のパンフレットもあります。多くの観光客はまず景福宮を訪れるため、慶熙宮はとても静かで、ゆっくり見学することができます。
また、ソウル歴史博物館の裏庭とつながっていて、敦義門博物館マウル、警察博物館とも隣接しています。韓国の歴史と、伝統宮廷の雰囲気を感じることができる場所です。ぜひあわせて見学してみてください。
Address
55 Saemoonan-ro, Jongno-gu, Seoul
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