ソウル生活史博物館は、過去にソウル北部地方検察庁(2010年移転)があった場所に、2019年7月に開館したばかり。裁判所と検察庁の建物をリモデリングし、建物の歴史的価値を保存しながら、市民のための複合文化施設として生まれ変わった。
ソウル生活史博物館 本館展示室
本館の展示は、日帝の植民地解放(光復)、6.25戦争を経て廃墟となったソウルが、現在の発展した都市になるまでに焦点を当てている。1950年代以降のソウルの風景や人々の暮らし、大衆文化、人々がどんな目標をもって生きてきたのかを垣間見ることができる。
1階 ソウルの風景
景福宮 光化門
景福宮の正門 光化門の後ろに、朝鮮総督府の建物が見える。光復後は中央庁と呼ばれ大韓民国政府庁舎と国会議事堂に活用され博物館としても使われた。1995年金泳三大統領の指示により撤去された。
現在、光化門の後ろは広大な広場になっていて、何もない。
KIA(起亜)自動車 ブリサ
1974年に発売されたKIA最初の乗用車モデル。デザインはマツダファミリアを基本として、部品は90%以上韓国産を使用。
ポニータクシー
1975年に開発された韓国最初の固有モデル自動車。発売後、爆発的な人気となった。
ところで日本では赤や水色、黄緑、ピンクなどさまざまな色の車が走っていますが、韓国を走っている最近の乗用車(タクシーやバス以外)はほとんどがモノトーン。(理由はおそらく近年の流行のため)黒、紺色、グレー、シルバー、白ばかりです。
国内産のラジオ
ゴールドスターブランドの金星社は、現在のLG電子。
大きさと重さを画期的に減らした韓国産トランジスタラジオが生産されたのは1965年からだった。その頃政府は農村にラジオを送る運動を広げていった。1960年代末には都市でも農村でもラジオを聞くことは日常の一部になった。
引用:ソウル生活史博物館展示
2階 ソウル市民の成長
朝鮮時代 漢陽(現在のソウル)には両班官僚、商人、中人が身分別に異なる地域に居住していた。
日帝の植民地支配により両班官僚の一部は失職し、土地を出たり、違う土地に移動することを余儀なくされた。また、植民地の京城(現在のソウル)には、地方から来た貧しい人々が増え、植民地からの解放後は海外の同胞や地方からの上京者、6.25戦争後は北からの避難民も押し寄せた。
急激に変化し現在1千万人の人々が居住するソウル。大半は漢陽人の子孫ではなく移住してきた新しい人々だ。
ソウルの古株 토박이(トバギ)
トバギとは土地っ子、地元民のような意味。トバギは、これさまざまな背景を持ち3代以上ソウルに居住するソウルの古株、主(ぬし)だ。江戸っ子に似た定義です。
ソウルで生まれ育った ソウルっ子
ソウルで成長、結婚し、家族を持ち生きてきたソウル人、ソウルっ子に関する展示空間。
植民地からの開放、そして6.25戦争後、良い働き口を求めて、より良い教育の機会を得るために青年たちがソウルに集まった。ソウルで男女が出会って結婚し、家族と生活の基盤をつくってきた過程を、思い出の写真や当時の遺物を通して知ることができる。
ソウル市民の結婚
新婦の家の前庭で近隣のお祝い事として行われていた結婚式は、6.25戦争後、式場での個人的な行事に変わっていった。
伝統的な結婚式が主流だった時代から、洋風のドレスを着て結婚式場で行われるスタイルに変化した。早く早く、新しいものを取り入れて先へ進んできた韓国。しかし最近はまた伝統結婚式の良さが見直されてきている。
ソウルの古宮は、韓服を着用していれば無料で入場できる。韓服を着て古宮で写真を撮ることは、観光で訪れた外国人だけではなく、地元の韓国人にも人気が高い。特に近年、韓服を着るのが特別なことではなく、気軽に楽しめる娯楽のひとつになったことは、古宮で韓服を着用する人が急激に増えたことに影響を受けていると思う。韓国人は伝統や歴史を大切に考えるし、また美しい民族服が好き。韓服を現代風にアレンジし、日常着の感覚で着ることができる生活韓服と呼ばれる服も人気が高まっている。
3階 ソウルの夢
当時の住まいのリビングやキッチンから、住宅、生活の時代の流れを知ることができる。
一階ミュージアムショップで複製のおもちゃを購入できます。
教育
儒教思想の影響で子供の立身出世に対する願いが強いソウルの家族は、2世教育に熱烈な関心と努力を投資した。 植民地からの解放後、義務教育により就学率は急増したが、教室と教員不足で2部制、3部制教育となり、教師1人が100人前後の学生を教えなければならなかったそう・・・
校服(制服)、教練服
昔の韓国ドラマにたびたび登場する教練服。1997年以前まで高等学校で教練は必修科目だった。
1940~1980年代の教科書、参考書
小学生の日記帳
1.実践事項、2.反省、3.実践徳目について記されたノート。書いたのは、初等学校の中~高学年の男の子のようです。
1969年9月14日 晴れ
反省=ぶどうが原因で妹とけんかした。
小さなことなのに気分が良くない
これからはあまり欲を出さずに仲のいい兄妹にならなければ9月15日 雨
反省=家に帰ったらまず洗わなければならない
一日中ほこりをかぶった身体で宿題をしたら身が入らない
精神の姿勢から徹底して整えなければならない9月16日 くもり
反省=当番だったことをうっかり忘れて遅く登校した
他の当番たち本当に申し訳なかった
これからは責任、義務をやり遂げなければならないソウル生活史博物館展示品(박미경さん 寄贈品)
植民地からの開放と6.25戦争後、廃墟となったソウルで人々が懸命に生きてきた姿を展示しているソウル生活史博物館。この時代の良いところは、何よりも自由だということ。夢見る未来があり、生活を楽しみながら生きている姿に共感できる。また、時代の流れを温かい懐かしさとともに見ることができる良い展示でした。
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