忠武公 李舜臣は壬辰倭乱当時、朝鮮の水軍を統率していた武臣。韓国で最も有名な英雄。
李舜臣将軍の諡號は「忠武公」
諡號とは
王や王妃をはじめ、官職者や国家的な功を立てた人物が亡くなった後、その業績によって国王から与えられた名前。忠武公は忠誠の「忠」と武芸の「武」、位による尊称「公」の字をつけた、 武人として功を立てた人に与えられた最高の諡號。
韓国で「忠武公」と言えば、最も有名な李舜臣を指す場合が多いが、実は忠武公と呼ばれる人物は数人いる。
ちなみに観光地としても有名で、道路名・駅名になっている忠武路は忠武公 李舜臣将軍にちなんでつけられている。光化門広場の道路名住所は世宗路で言うまでもなく、世宗大王からつけられた名前。
光化門広場の地下 忠武公(チュンムゴン)イヤギ
光化門広場の世宗大王像の後ろにある秘密の入口、または世宗文化会館から、入場無料で見学できます。
光化門広場の地下に広がる別世界、世宗イヤギと忠武公イヤギ。ふたつの展示スペースは地下でつながっています。
政府標準遺影
1973年10月30日に忠武公 李舜臣の政府標準遺影として指定された絵。この絵を描いた画家 月田張遇聖は日帝強占期に生まれた画家。(*月田張遇聖は2008年の民族問題研究所の親日人名リストに選定されている)
政府標準遺影とは
歴代偉人の容貌を標準に指定した肖像画を指す用語。 標準遺影指定事業は、朴正熙政権時代に、忠武公 李舜臣の関連史跡聖域化の過程で始まった。同じ人物なのにもかかわらず、顔や姿勢などがまちまちだという状況を統一し規制するため、国から依頼して描かれた肖像画を標準肖像画とした。
つまり、現在知られている偉人の絵の多くは1970年代以降に創作された新しいものだということになります。下記サイトで政府標準遺影の指定目録、意義、現況や規則など知ることができます。興味深い内容です。
大韓民国 文化体育観光部ウェブサイト
ちなみに銅像には標準指定の制度がないそうです。
左上:釜山 龍頭山公園の銅像 | 右上:政府標準遺影(基本) |
左下:龍山区 戦争記念館の胸像 | 右下:忠武公イヤギのレリーフ |
展示
亀甲船
日本では亀甲船とよばれますが、韓国語では 거북선(亀+船)または漢字語の귀선(亀船)なので、あえて日本語に訳すなら亀船だと思うんです。
亀船は内部を見学できます。
映像室
入室するとセンサーで映像が流れます。臨場感のあるかっこいい映像です。
体験ブース
子供向けの体験ブースは広く、さまざまな遊び道具が用意され、お子さん連れの家族の姿もあります。
玄字銃筒
壬辰倭乱当時の大型の銃筒。宝物885号に指定されている。
天字銃筒
壬辰倭乱当時使用された大型の銃筒のうち一番大きなもの。
紅小令旗
中国 明の皇帝が忠武公 李舜臣将軍に与えた8種の物品のうちのひとつ。
鬼刀
中国 明の皇帝が忠武公 李舜臣将軍に与えた8種の物品のうちのひとつ(複製品)で、護身用の刀。もち手が鬼神のようになっている。斬新なデザインでかっこいいです。
国を愛し国を憂い亡くなった忠武公 李舜臣将軍
乱中日記
忠武公 李舜臣将軍の日記。
필사즉생 필생즉사(必死即生 必生即死)
死を覚悟して戦えば生き、生きようと戦いから逃れれば死ぬだろう。
初出戦である玉浦から、最後の露梁の海戦で亡くなるまで、23戦23勝利という驚くべき成果を成し遂げた忠武公 李舜臣将軍。「今はまだ戦いの途中だから、わたしの死を誰にも知らせてはならない」と遺言を残した。
亀甲線の横のエスカレーターを上ると、上階は食堂街で、高級なお店と、ほどよく庶民的なお店があります。ずっと歩いていくとカフェや結婚式場、美術館があり、セジョン文化会館から出ることができます。
Address
入場無料午後8時まで見学可能(月曜休館)
ソウル特別市鍾路区世宗路 光化門広場 世宗大王銅像地下
-
光化門広場の集会と世宗大王の物語(セジョン イヤギ)
ソウル観光で最も多くの人が訪れる古宮、景福宮キョンボックンの目の前が光化門クヮンファムン広場です。光化門クヮンファムン広場の世宗大王セジョンデワンと李舜臣イスンシン将軍の像は人気の写真スポットですが、 ...
-
ソ ジソブと1,000ウォン紙幣の退渓(テゲ)李滉(イファン)
現在の慶尚北道キョンサンプッド安東アンドンで生まれた退渓テゲ李滉イファン先生。(1501~1570年)朝鮮中期の文臣、儒学者として知られ、世界に研究者がいる。日本の儒学者にも大きな影響を与え、多くの著 ...