クッパに関する話で、朴正熙元大統領のエピソードを振り返ってみる価値がある。 国民の宿願だった보릿고개(春窮期)解決に尽力した朴正熙元大統領が、全国のクッパ屋を密かに訪れたことから「大統領クッパ店」という噂がひろがった。その話が受け継がれてきて、大統領クッパ店と呼ばれた店は大きな成功を収め、「大統領クッパ店」は今も地域を代表するマッチブ(グルメ店)として位置づけられている。 朴元大統領と縁を結んだ店は全国で12ヵ所ほどだとされている。
出典:中央日報
보릿고개(春窮期)とは、前年の秋に収穫した食べ物が底をついて、今年の麦はまだ、実っていない5~6月、食糧事情が非常に厳しい時期のことを言う。悲しい歌ですが、有名なトロット(韓国の演歌)もあります。
その大統領クッパ店の一軒が、この全州の三百屋で、創業から70年以上、かわらないコンナムル(大豆もやし)クッパが一番の看板メニュー。店名の由来は、もともと看板がないお店だったが、どんなにたくさんのお客が訪れても300杯しか売らずお店を閉めたことから、三百屋と呼ばれるようになったそう。コンナムルクッパ以外のメニューもあります。
日本で朴正熙元大統領についての記事を読むと、独裁政権ばかり前面に押し出し(最近特に)悪人の扱いの内容ばかり目につくが、国内の評価はまったく一色ではなく、賛否両論ある。
食糧問題の解決にも尽力し、毎日の食生活を目覚しく向上させたことは間違いない事実。
韓国に限らず、現代のようにいつでもお腹いっぱいになるまで好きなものが食べられる時代になったのは、人類の歴史を見てもここ数十年。日帝強占期の食糧収奪、6.25戦争があり、人々は長い間食べるものがなく、飢えて暮らしてきた。しかし今韓国は食品ロスが深刻な問題になっているほどで、一品注文すればたくさんのおかずがテーブルにならび、全部食べきる人のほうが少ない。
貧しかった国の経済は漢江の奇跡と呼ばれる急激な曲線を描き成長し、国民の生活はこの数十年で驚くほど豊かになった。これは数十年前~現代にいたる韓国の変化を知っている人なら実感として簡単にわかる。
店内は清潔でとても広~~く、たくさんの人が絶え間なく訪れます。また、店員さんの数も驚くほど多く、活気があります。
朴元大統領がクッパを楽しんだ理由を考えてみる。 もし彼が産業現場での一食の食事として、充分な食べ物としてクッパを思い浮かべたなら、クッパの真価を正確に把握したのではないかと思う。 わたしたち民族は、家の大小事は言うまでもなく、国と村の祭礼の時、クッパをつくり、わけて食べた。 韓国料理の特性、いや我が民族の歴史をクッパほど率直に物語る食べ物もない。 肉のスープに白いご飯の情緒が熱いクッパ1杯に余すところなく込められているからだ。
出典:中央日報
三百屋は全州が本店の有名なマッチブ(おいしい店)ですが、韓国全土に支店があります。