大韓民国歴史博物館は 2012年12月に開館した国立博物館。韓国には「○○歴史博物館」という博物館が多いですが、こちらは「大韓民国」の歴史を展示する博物館です。大韓帝国期と、1919年の3.1独立運動の結果誕生した臨時政府、1945年の日帝の植民地支配からの解放(光複)、1948年の大韓民国政府樹立を経て、今日に至るまでの歴史が展示されています。
企画展「大韓独立その日が来れば」
大韓民国歴史博物館と国家記録院が共同開催する企画展示。2019年は3.1独立運動100周年。日帝の支配の不当を世界に訴え、自由を求めて抵抗した100年前の民族運動を知ることができます。
第一部 1919年を胸に抱いて
第一部の入口には、日帝が作った監視対象人物カードの中から選んだ700名の写真が展示されている。
人々がどのように独立運動に関わり、どんな影響を受けたのか、その後人生がどのように変わっていったのか、3.1独立運動と国民を主題にした展示室。
3.1独立運動のはじまり
3.1独立運動時には独立宣言書だけではなく、新聞や貼紙、警告文などさまざまな印刷物が作られた。あちらこちらで印刷物が作られ、撒かれたり、壁に貼られたりした。そして複製され、人から人へ渡され広がっていった。
軍隊、警察による弾圧
第二代朝鮮総督 長谷川好道が3.1独立運動勃発後に発表した三番目の警告文。「民衆の妄動を戒めたが、暴力的になり仕方なく日本政府に軍隊派遣を要請した。軽率に不良輩に混ざり一般人はとばっちりを受けるな」という内容。自由を叫んだ人たちは犯罪者として逮捕され監獄に入れられた。
言論の弾圧
逮捕や拷問を受けた人たち
独立運動の頃 1919年3月28日から秋まで、韓国に滞在した英国画家エリザベス・キース(Elizabeth Keith) が描いた絵。 韓国で見たもの、会った人たちについて絵と文章でつづっている。
万歳運動でもっとも注目する事実は、年老いた両班たちの関与だといえる。金允植や李容稙(朝鮮時代末~の文人、学者)がそんな人たちだ。長谷川好道 朝鮮総督に独立請願書を送り、そうすべき理由を説明した。その請願書が間違いなく渡されるよう、金允植はその文書をケーキの箱に入れ、朝鮮総督に直接、贈り物だと孫に渡しに行かせたが、二人は即時逮捕された。子爵である金允植は85歳の高齢で病中なので、その孫が代わりに監獄暮らしをした。
英国の画家「エリザベス・キース(Elizabeth Keith)の韓国」より
温和ながらも悲しい顔をした北部出身の女性だ。日帝に連行され、ありとあらゆる拷問を受け監獄から開放されて幾日もたっていなかった。身体にはまだ拷問を受けた痕跡が残ってはいたが、顔の表情は平穏で恨みに満ちた姿ではなかった。一人息子は日帝に連行されてしまい彼女はいつ息子に会えるのかわからない状態だった。息子は3.1独立運動に積極的に参加した愛国者だった。
英国の画家「エリザベス・キース(Elizabeth Keith)の韓国」より
戦時費用調達のための搾取
1937年 日帝は日中戦争を始めてから、朝鮮の国民を侵略戦争に協力させるため皇国臣民化政策を始めた。
皇国臣民化政策とは
天皇を神とあがめ「天皇のためによろこんで命を捧げよ」と、天皇の民としての意識を刷り込もうとした政策。民族精神を抹殺し、朝鮮の民を日本人にするために、日本式の名前に変えさせ(創氏改名)、母国語の使用を禁止した。また、韓国語の雑誌や新聞を廃刊させ、歴史教育をさせないようにし、国を抹消した。
右上:毎朝皇大神宮を拝し皇室のご安泰をお祈りいたしましょう
左下:時局を正しく認識し貯蓄を励行し進んで国債に加入しましょう
「支那事変国債売出し」と描かれた絵。資金が不足した日帝は戦争費用を調達するため「臨時資金調整法」を制定した。朝鮮総督府の命令により金融組合は強制貯蓄や天引きで金を集めた。また、さまざまな名で戦時国債を発行し続け、朝鮮の国民から搾取した。国庫債券は日本が敗戦し、ただの紙切れになった。
第二部 臨時政府人たち 祖国をおもう
大韓民国臨時政府樹立までの道のり。臨時政府の機関紙 独立新聞の上海版、臨時政府に関わった人たちの写真など、資料がメインの展示。さまざまな資料が残っており、100年前と言っても大昔ではないことがわかる。
3.1独立運動直後から多くの韓国人が上海に移住し、独立運動や生計を立てるための経済活動を始めた。当初は電車会社の職員や自営業者が多かったが、1920年代以降は医師、貿易業、鉄鋼業、印刷業など多様化した。
独立新聞にどんな広告が載っていたのかわかる展示。訃告、求人や人探し、病院や商店の宣伝など。現代の新聞と変わらない。
第三部 故郷を夢みる(海外に残る独立運動家)
大韓帝国期から日帝強占期に海外へ生活の拠点を移し、独立運動を助けた人たちに関する展示室。
海外から祖国の独立のため力を注いだ人たちの中には、光複(解放)以降もさまざまな事情で帰国しない人たちも多い。彼らはその後どうなり、どのように記憶されているのか。家族や子孫の言葉とともに、今日の大韓民国をつくった人たちが、김동우 写真作家の作品により紹介されている。
韓国と日本の間に起こったこと
1919年の3.1独立運動から100周年の2019年は、独立運動や日帝の植民地支配に関する展示会、多くのテレビ番組が制作、放送されています。
植民地支配の歴史についての資料は、日本ではほとんど目にすることができません。しかしながら韓国で起こったことなので、韓国には資料がたくさんあります。「100年前」といっても大昔ではなく、驚くほど鮮明な写真や新聞、文書、記録が残っています。
日帝の植民地支配の歴史が、日本にとって都合の悪いことだったとしても、自国の歴史を教えることは、決して反日教育などというものではありません。歴史を学び、何を感じ思うのかは人それぞれで、100人いれば100通りの考えがあります。
大韓民国歴史博物館の常設展示室には、大韓帝国期以降の貴重な遺物が数多く所蔵されており、無料で見学することができます。景福宮周辺を訪れる方は是非足を運んでみてください。
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