光化門にある韓国金融史博物館は、国内最初の金融史に特化した博物館で、新韓銀行が運営しています。現在の新韓銀行の前身、朝興銀行が創立100周年を迎えた1997年3月27日に設立されました。2006年4月に、朝興銀行が買収合併されてからリモデリングされ、現在は韓国金融史博物館と新韓ギャラリーで構成されています。
韓国の伝統金融の歴史と、民族の経済生活史
韓国金融史博物館は、3階が常設展示室になっています。朝鮮時代から始まり、日本植民地時代、光復(解放)から現在に至るまでの韓国金融の歴史が、時代ごとに順を追って展示されています。
5階 金融教育センター 教育場 | |
4階 新韓ギャラリー | 貨幣展示室 |
体験コーナー | |
3階 韓国金融史博物館伝統時代の金融 | 近代期の金融 |
日帝強占期の金融 | |
解放以後の金融 | |
新韓銀行の足取り | |
2階 金融教育センター 教育場 | |
1階 新韓銀行 光化門支店 |
近代期の金融
銀行などの金融機関がなかった時代、お金が貯まったらどこへ置いていたのか。お金がない時はどこから借りたのか、などの金融の流れをさまざまな模型や遺物を通して知ることができる。
伝統的な金融業「契」
三国時代から始まった「契」は、数人で共同の財産や資金を用意し、共通の目的のために使ったり、他人に貸して利子を受け取ったりなどの活動をした共同の商業組織だ。朝鮮時代に活発になり、その目的によって多様な種類の「契」が作られた。開港以後は、金融目的の「契」に似た賭博の性格が強いものもあった。また、今日の宝くじに似たものもあった。「契」による金融は広範囲で、活発に続けられた重要な伝統的金融業のひとつとして、市民の間で民間金融の役割を担当し発展した。
引用:韓国金融史博物館 展示
客主(旅閣とも言う)
客主は、朝鮮時代の商業金融機関。都市や港などにあり、商人の物品の売買を仲介したり、手数料を受け取って代わりに売ったり、商人を泊める宿屋でもあった。委託業務を中心に、運送、倉庫業も兼ねた。また、お金の貸し借り、手形の発行や引き受けといった金融業務を行い、現在の普通銀行と良く似た役割を担った。
韓国では1983年と2015年に「客主」というドラマが制作されています。
商人という、あまり主題になりにくいところにスポットを当てた時代劇です。日本でもケーブルテレビ局などで放送されました。
典當舗(質屋)
高麗時代の中ごろから、大きな町には典當舗があらわれ始めた。客が物を預け、それを担保にお金を貸し利子を受け取る金融業だ。朝鮮時代には商売になり、開港以後日本人が移住してきてから「質屋」に名称がかわった。1898年には「典當規則」が発布され、近代的な質屋として制度化された。
朝鮮時代の金融の場面で実際に使用された、さまざまな道具が展示されている。電卓がない時代にどのように計算し、どんな方法で金融取引をしていたのかを展示を通して知ることができる。
近代期の金融
開港により外国の銀行が国内に入ってきて、国内でも多様な銀行が設立され、近代期の金融が始まった。甲午改革(*)以後、それまで物納されていた税金をお金で収めるようになり、国のお金の収納を代行する金融機関が必要になり、漢城銀行、朝鮮銀行などが設立された。
(*)甲午改革とは
1894年~1895年の間、政治、経済、社会面において政府が展開した制度改革。政治面では王室と政府の事務分離や、司法権と行政権の分離、社会面では身分制度の廃止などがあげられる。経済面では近代的貨幣制度の樹立や租税の金納化が改革の重要な内容だった。
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韓国金融史博物館(2)日帝強占期の金融
韓国の経済は、日帝強占期(日本の植民地支配を受けた時代)に近代化されたようにみえたが、国民は蚊帳の外におかれていた。実状は日帝による金融経済の独占を目的とした侵奪と、戦争資金の調達だった。 日帝の主導 ...
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